東京地方裁判所 昭和40年(ワ)8328号 判決 1966年7月22日
原告 山中正義
右訴訟代理人弁護士 武川基
被告 三橋克己
右訴訟代理人弁護士 児玉義史
上杉柳蔵
主文
被告より原告に対する東京法務局所属公証人宮崎三郎作成昭和三九年第八五〇号準消費貸借契約公正証書に基く強制執行はこれを許さない。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
一、原告の求めた裁判
主文第一、二項同旨
二、被告の求めた裁判
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
三、請求原因
(一) 被告は原告に対する東京法務局所属公証人宮崎三郎作成昭和三九年第八五〇号準消費貸借契約公正証書(以下本件公正証書という)の執行力ある正本に基いて、原告を相手方(債務者)として、原告が訴外安田生命保険相互会社(第三債務者)から受ける給料債権の四分の一に対し東京地方裁判所から昭和四〇年七月二二日付債権差押及取立命令を得た。
(二) 本件公正証書は、原告において、訴外山中政市が被告から昭和三二年三月一五日貸与を受けた金五〇万円並びにこれに対する遅延損害金及びこれが支払命令に要した費用等計金五〇万三三六〇円につき、昭和三九年八月一三日現在において、その債務を負担していることを認め、同日原告及び訴外山中クニが重畳的に右債務を引受け連帯債務者となり、ついで原告は訴外山中政市、同山中クニとともに連帯債務者として被告との間に、これを消費貸借の目的とし、その弁済期日を昭和四〇年三月一五日、利息及び遅延損害金を年一割八分とする旨の準消費貸借契約を締結したことを内容とするものであり、原告において債務不履行の場合には、強制執行を受けても異議ないことを認諾する旨記載されている。
(三) しかし、原告は本件公正証書の作成に関与したこともその作成の代理を委任したこともないし、また右引受債務はもとより準消費貸借契約を締結したことはない。もっとも、本件公正証書作成当時、原告は未成年者であったため、訴外山野井正夫が特別代理人に選任され、同訴外人が原告の代理人として、本件公正証書を作成し、そこに記載の前記各行為をなしているのであるが、右は代理権の範囲に属しないもので、効力がない。
(四) 訴外山野井正夫が原告の特別代理人に選任されるに至った経緯は次のとおりである。原告の父訴外山中政市は被告から従前金五〇万円の貸与を受けていたが、その後営業立直しのため新たに金五〇万円の貸与を受けることとなった。しかして、原告は当時年令一九才六ヶ月で、既に十分な意思能力を持っていたが、原告の父山中政市が家業を守るための資金として被告から新たに金五〇万円の貸与を受けることが未成年者である原告の利益にもなることとして、右山中政市、原告の母山中クニが被告から前記旧債務を合せた金一〇〇万円を限度として金銭を借り受けることについて、原告が連帯債務者となる契約を締結するため、訴外山野井正夫が東京家庭裁判所昭和三九年(家)第七、一四八号事件において昭和三九年八月一〇日付をもって原告の特別代理人として選任されたものである。
(五) しかるに、被告は右山中政市に対し約定の金五〇万円の新たな消費貸借をなすことなく、ただ前記の旧債務についてのみ、同額の準消費貸借に関する前記のような公正証書を作成させたものであり、訴外山野井正夫の行為は、無権代理行為であるから、本件公正証書は無効のものである。
(六) また、以上のように見て来ると、本件公正証書は、被告が新たに金五〇万円を貸与する意思がないのにかかわらず、山中政市や原告らを欺罔し、山野井正夫に代理権がないことを知りながら協力させて作成せしめ、原告の僅かな給料債権を差押えたものであって、本件公正証書に基く原告に対する強制執行は不法行為を構成するものといわなければならない。
(七) 仮に不法行為に該当しないとしても、本件公正証書に基く原告に対する強制執行は信義誠実の原則に反し、権利濫用であるというべきである。
(八) よって、被告の原告に対する本件公正証書に基く強制執行は許さるべきではないので、その執行力の排除を求める。
四、答弁
(一) 請求原因(一)の事実は認める。
(二) その(二)の事実も認める。
(三) その(二)の事実中、本件公正証書作成当時、原告が未成年者のため、その主張のとおり訴外山野井正夫が原告の特別代理人に選任され、同訴外人が原告の代理人としてその行為をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(四) その(四)の事実中、原告の特別代理人山野井正夫の権限が旧債務金五〇万円と新債務金五〇万円を含む計金一〇〇万円の消費貸借(準消費貸借を含む)の成立に関するものであること、原告がその主張のとおり十分な意思能力を有していたことは認めるが、その余の点は争う。山野井正夫が原告の代理人として本件公正証書を作成し、その記載の契約をなしたのは、代理権の範囲に属する。このことは、山中政市は被告に対する旧債務金五〇万円を徐々に返済する方法として、更に被告から金五〇万円の貸与を受けることとしたものであり、また、本件公正証書の債権額は金一〇〇万円の範囲内であり、かつ被告は山中政市に対し旧債務金五〇万円の元利金につき、その支払方を請求していた折でもあり、本件公正証書作成当日、取り敢えず旧債務についてのみ公正証書を作成し、その支払状況によっては、後日金五〇万円を貸与することに当事者協定して、本件公正証書を作成した事実によっても、明らかであるといわなければならない。
(五) その(五)の点は争う。事実は右(四)において述べたとおりである。
(六) その(六)の事実は否認する。
(七) その(七)の事実も否認する。
(八) よって、原告の本訴請求は失当である。
五、証拠≪省略≫
理由
一、原告主張の(一)及び(二)の事実並びに本件公正証書作成当時、原告が未成年者のためその主張のとおり訴外山野井正夫がその特別代理人に選任せられ、同訴外人が原告の代理人としてその行為をしたこと、右訴外人の権限が、旧債務金五〇万円と新債務金五〇万円を含む計金一〇〇万円の消費貸借(準消費貸借を含む)の成立に関するものであること、原告が当時十分な意思能力を有していたことは、いずれも当事者間に争がない。
二、証拠≪省略≫を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 原告の父山中政市は被告から昭和三七年三月一五日に金五〇万円を、弁済期日同年九月三〇日、利息月二分の約定をもって、貸与を受けた(被告は訴外山野井正夫の紹介により他から融資を受けてこれを政市に貸与した)が、山中政市は数ヶ月分の利息を支払ったのみで、その余の支払をなさないため、被告は山中政市を債務者として、豊島簡易裁判所に対し支払命令の申立をなし、同裁判所は、昭和三七年一二月一七日付をもって、山中政市は被告に対し、貸金元金五〇万円及びこれに対する昭和三七年一〇月一日から支払ずみまで年一割八分の割合による損害金並びに督促手続費用金三三六〇円を支払うべき旨の支払命令を発した。
(二) 山中政市は被告に対し昭和三九年四、五月頃に、呉服商を続ける営業資金として新たに金五〇万円を貸与されたい旨申し出て、協議の結果、被告は政市に対し、同人の妻山中クニ及びその子の原告が保証人となるならば、旧債務を返済して貰うためにも、新たに金五〇万円を貸与することを承諾し、当時訴外安田生命保険相互会社に勤務していた原告も新たに金五〇万円の貸与を受けられるならば、旧債務についても保証人となることを了承した。
(三) 山中政市及び山中クニは昭和三九年七月七日に東京家庭裁判所に対し、被告から貸与を受けている金五〇万円及び新たに貸与を受けるべき金五〇万円計金一〇〇万円の債務につき、原告が連帯債務者となることについての特別代理人選任の申立をなし、同裁判所は同年八月一〇日に、山中政市山中クニが被告から金一〇〇万円を借受けるにつき、原告が連帯債務者となることについての特別代理人として、山野井正夫を選任する旨の審判をなし、被告はこれを了知した。
(四) 山中政市及び被告並びに原告の特別代理人山野井正夫は昭和三九年八月一三日に、公証人役場に赴いたのであるが、その際被告は、本日は旧債務の金五〇万円についてのみの公正証書を作成し、新たに貸与すべき金五〇万円については、後日公正証書を作成する旨告げたところ、山野井正夫はこれを承諾し、山中政市もこれに従い、本件公正証書が作成されるに至ったのであるが、被告は旧債務に対する利息を支払って誠意を示さない限り、新たに金五〇万円を貸与することはできないとして現在に至っている。
以上の事実が認められ、前掲証人山野井正夫の証言及び被告本人尋問の結果中、右認定に牴触する部分は採用し難く、その他これを左右するに足りる証拠はない。
三、そうすると、原告の特別代理人山野井正夫の権限は、山中政市が被告から新たに金五〇万円の貸与を受けるとともに旧債務金五〇万円を合わせた計金一〇〇万円につき、原告が連帯債務者となることであり、右は一体をなしているものであって、これをみだりに分離してなすべきものではなく、ことにこのうち旧債務金五〇万円についてのみ、原告が連帯債務者となることは、前記審判の趣旨を逸脱した行為であって、かかる権限は与えられていないものと解するのを相当とする。
四、被告は本件公正証書作成当日、山中政市に対し旧債務金五〇万円の利息位はせめて支払って貰いたい、その誠意を示した場合には、新たに貸与すべき金五〇万円の公正証書を作成すべき旨申出たところ、山中政市(兼山中クニ代理人)及び原告の特別代理人山野井正夫はこれを承諾したので、本件公正証書を作成した旨供述するのであるが、仮にそのとおりであるとしても、本件公正証書中、被告と山中政市、山中クニに関する部分の効力はとも角、右山野井正夫の行為は、前叙のとおり前記家庭裁判所の審判に示された権限の範囲を越えたもので、無権代理行為に該当するものというべきである。蓋し、形式的にみても、家庭裁判所の前記審判には、被告供述のように、旧債務についての利息の支払状況を見たうえで新たに金五〇万円を貸与すべき旨の文言は見当らない上に、実質的に考えても、前記二の認定の経緯よりして、本件特別代理人の選任は、被告が新たに金五〇万円を貸与するからこそ、旧債務も合わせて原告を連帯債務者とするためになされたもので、新規に金五〇万円を貸与すべきことに主眼がおかれてなされたものであることが窺われることに徴しても明らかである。
五、以上説示のとおりであって、本件公正証書中、原告に関する部分は、原告の特別代理人山野井正夫が、その権限の範囲を越えて、公証人に嘱託して作成せしめたものであるから、原告に対して何らその効果を及ぼすものではなく、従ってその余の点について判断するまでもなく、無効であり、これを理由として、本件公正証書の執行力の排除を求める原告の本訴請求は理由がある。
六、よって、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 大沢博)